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2024年04月27日
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黒部ダムの観光地「くろよん記念室」

2008年11月10日

黒部ダムの観光地「くろよん記念室」

 

黒部ダム周辺には見所が多く、
観光する場所はいっぱいあります。


その中の1つに、
「くろよん記念室」という場所があります。


くろよん記念室は、
黒部ダム駅から連絡通路回りで、徒歩5分の所にある
ダムレストハウス内の3階にあります。


くろよん記念室には、黒部ダムの縮尺模型や、
断面の立体図、破砕帯の岩などが展示されています。


また、
トンネル掘削工事現場のような内装を施している映写室で、
黒部ダム建設時の記録で製作した映画「くろよん物語」が、
常に上映されており、
当時の黒部ダムの工事の大変さが分かる記念室になっています。

三面マルチ画面の映像で、わかりやすく解説しています。

11分の映画。


その他に、休憩できるスペースや、
屋上展望台もあります。

くろよん記念室は、無料で入場することができます。見学無料。

営業期間は、4~11月までで、
営業時間は、午前7時30分~午後5時までとなっています。

ただし、11月6日~11月30日の間の営業時間は、
午前8時30分~午後4時までとなっています。

 


くろよん記念室の近くには、殉職者慰霊碑があります。


黒部ダムの完成までに、
命を落とした171名の名前が刻まれています。

入口で、後立山連峰の破砕帯から
湧き出る名水を飲むことができます。

飲みやすいようにひしゃくが置いてあります。

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黒部ダムと黒部川第四発電所について

2008年11月09日

黒部ダムと黒部川第四発電所について

 

黒部ダムは、日本で一番標高が高いダムで、高さは186メートルあり、
50階建ての建物よりも高いと言われています。

また、黒部ダムは、アーチ型をしており、とても美しく、見る人を魅了します。

その他の特徴としては、提頂長の長さと体積は、
日本一で、貯水量は日本で4番目となっており、
高水準のダムになっています。
 
 

黒部ダムは、戦後の復興期に起こった電力不足を解消するために
建設されたダムです。
 

第二次世界大戦後の電力不足は国家問題といっていいほど、
深刻だったようで、電力を補うために、

まず関電が火力発電所で対応しようとしましたが、
できなかったために、大規模な水力発電所を建設しようという構想が持ち上がり、
黒部ダムを建設することになりました。



黒部ダムは、
当時関西電力の社長であった太田垣士朗が陣頭指揮をとり、

昭和31年から7年もの歳月と、
513億円という巨額の費用、
1000万人という膨大な人材を投入しており、

社運をかけて行われた工事だったようです。

当時の513億円は、今のお金に換算すると1兆円超えると言われています。


黒部ダムの工事の一番の難関は、大町トンネル内の大破砕帯で、
その時の大出水は、映画「黒部の太陽」でも取り上げられました。


黒部川第四発電所が、黒部ダムの10キロメートル下流で、
地下150メートルの所に、昭和38年に設置されました。
 

黒部川第四発電所は、
NHKの「プロジェクトX」で、建設時の
取り上げられました。
 

黒部の太陽の舞台の見どころ

2008年11月08日

黒部の太陽の舞台の見どころ



2008年10月、
故・石原裕次郎、三船敏郎が出演した名作「黒部の太陽」が舞台で蘇りました。


この黒部の太陽は、石原裕次郎さんの意向といった諸事情があり、
テレビ放送、ビデオ化などがされていませんでした。


そんな中、2008年には、
関電トンネル開通50周年、映画公開40周年を、
向かえたことを記念して、
満を持して舞台として蘇ることになりました。
 


石原裕次郎さんが務めた岩岡剛の役を、中村獅童さんが演じ、
三船敏郎さんが務めた北川覚の役を、神田正輝さんが演じています。


石原裕次郎は、
黒部の太陽を「生涯最高の作品だ」と語っており、
大作として有名です。
 

今回、黒部の太陽の舞台で、
今まで表に出ていなかった映画のメイキングストーリーが流されます。


 

舞台「黒部の太陽」の見どころは、
トンネル掘削中の大出水シーンではないでしょうか。


この舞台「黒部の太陽」では、
ステージで大量の本物の水を放出するシーンが盛り込まれていており、
ものすごい臨場感を味わうことができます。

 

梅田芸術劇場で、
関電トンネルや大迫力ある放水シーンなど、
今までの舞台では表すことができなかった演出をしようと、
舞台の限界に挑んでいます。