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2024年05月07日
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黒部ダムの観光放水について

2008年11月07日

黒部ダムの観光放水について

 

黒部峡谷にある黒部ダムでは、
毎年6月26日から10月15日の間、観光放水が行われています。
 

これは、自然景観の維持のため、
黒部峡谷にダムを建設する際の許可条件として、
決められているためです。



放流時間は、
6月26日~7月31日の間は、
午前6時~午後5時30分までで、
 

8月1日~9月10日は、
午前6時30分~午後5時までで、
 

9月11日~10月15日は、
午前7時~午後4時30分となっております。
 


ただし、雨が降るなどして、
河川の水量が多い場合は、中止になる場合があるようです。


 

黒部ダムは、高さ186mという日本一の高さを誇り、
ダム堰堤からは、1秒間に、10立方メートル以上の水が噴出しています。


黒部ダムの展望台と、新展望広場から、
迫力のある放水を見ることができます。

噴出した水しぶきによって、
晴れた日には、虹が見えることがあります。



 

また、「ふぉっとダム」という記念写真システムが、
展望台の2ヶ所に設置されており、
放水の時間に合わせて、記念撮影できます。

撮影タイプは、
ズームとワイドの2種類があり、
ズーム、ワイド共に、1枚1200円(税込み)となっています。

黒部ダムの観光放水の記念として、
写真を撮るのは良いですね。


映画「黒部の太陽」で知られる黒部ダムですが、
ぜひ、観光放水を見に行ってみてはいかがでしょうか。
 

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黒部の太陽が舞台化

2008年11月07日

黒部の太陽が舞台化

 

石原裕次郎さんが主演の映画「黒部の太陽」が、
中村獅童さんを主役として舞台で復活しています。

舞台版「黒部の太陽」は、2008年10月5~26日まで
大阪の梅田芸術劇場で公演されました。


主演は歌舞伎役者の中村獅童さんと神田正輝さん。

出演者は、
ベンガルさん、大地康雄さん、宮川一朗太さん、勝野洋さん、月影瞳さん。


演出は、映画監督の佐々部清さんが努めました。
 

佐々部清さんは、
半落ち、出口のない海、四日間の奇跡等の映画監督を務めていますが、
舞台演出は、黒部の太陽が初めてだそうです。

 
 

黒部の太陽を舞台化するまでにかなり苦労したようで、
梅田芸術劇場の岡田正行プロデューサーが、石原プロに頼みこみ、
舞台化の許可が出ました。


黒部ダムを建設した関西電力と熊谷組が協力しており、
映画を製作した石原プロモーションと三船プロダクションも全面的に協力している。

 

トンネル破砕帯突破シーンは、
舞台上に用意した超特大水槽を2万リットルという大量の水を、
出水装置により大放出することで演出しました。

そのトンネル破砕帯突破シーンに使う“出水装置”を製作するのに、
約1億円ほどかかったようです。


10月5日の初日の舞台あいさつには、
石原プロモーション代表取締役社長の渡哲也さんが駆けつけました。


すでに黒部の太陽の舞台は終わっていますが、
石原裕次郎さんの没後23回忌にあわせて、
2009年に東京で再演するという話しもあります。
 

ホワイトアウトのロケ地に黒部ダム

2008年11月06日

ホワイトアウトのロケ地に黒部ダム

 

2000年にホワイトアウトという映画が公開されました。

ホワイトアウトというのは、真保裕一のサスペンス小説で、
1995年に新潮社から発刊されました。

 

1996年に、このミステリーがすごい!で、国内部門1位に選ばれ、
第17回吉川英治文学新人賞を受賞しており、
ベストセラーになっています。

 

映画では、
富樫輝男役を演じた織田裕二さん、
平川千晶役を演じた松嶋菜々子さん、
吉岡和志役を演じた石黒賢さん、
宇津木弘貴役を演じた佐藤浩市さん等、

人気芸能人が出演しており、大ヒットしました。

 

 

ホワイトアウトのストーリーは、
「赤い月」と呼ばれるテロリスト集団が、
新潟県にある奥遠和ダムを占拠し、
職員を人質にして、50億円という多額の身代金を要求しました。

偶然、人質にならなかった富樫輝男(織田裕二)が、
その人質を救うため、テロリストに立ち向かう活躍を描いています。



ホワイトアウト現象というのは、
吹雪による激しさから、太陽の位置が分からなくなり、
視界がさえぎられ、自分がどこにいるのか分からなくなってしまう状況のことです。



原作では、奥遠和ダムのモデルは、福島県南会津郡檜枝岐村と、
新潟県魚沼市にまたがる奥只見ダム(おくただみダム)になっていますが、

 

黒部ダムの方が雰囲気が合っていたため、ロケは、黒部ダムで行われました。